
人生にはスパイスが必要だ。という言葉がありますがスパイスの調合に失敗し続けてきた私の人生をお送り致します。1回目は「親知らず子知らず①」です。
私は小さな町工場を営む家族の元へ兄がいる長女として生まれました。兄は生まれつき片目が見えず病弱で、熱をだしては学校を休み私からみて祖父母・両親からの愛情を一身に受けていたという記憶が鮮明に残っています。
私は「康子」という名前の通り「健康」そのもの。私も病弱になって家族の愛情が欲しい!と常に思っていました。
幼いそんな私が考え付いたのは湯飲み茶わんにお湯を入れ体温計上げればよい!その手段で一心に祖父母と両親が心配してくれる姿を夢みて熱湯に体温計を入れ、結果は高熱すぎて水銀体温計の先が取れ湯飲み茶わんの中が水銀だらけになるという惨事で家族総出で激怒され泣きながら学校に行くという結果に終わり、その後はコタツの網になっている箇所に水銀体温計を差し込み熱を上げるという手段。差し込んでいる時に親が来たため、焦って体温計を抜こうとしたら今度はコタツの中で水銀体温計が割れ床一面、水銀だらけになるという大惨事を起こし、またもや家族総出で大激怒。大泣きで学校に行かされるという結果に終わり「康子はどうしようもない子」のレッテルが貼られ、他にもやったことがどんどん塗り重なっていきました。
鍵っ子で工場に行っても家族は仕事をしているため、よく一人で輪ゴムをつなぎ合わせ、椅子二つに、その輪ゴムをかけ一人でゴム飛びをする一人遊びが多く、兄と遊んでも兄妹げんかに発展するのが常でした。
両親の働いている後ろ姿をみては「お話したいな」「遊んでくれないかな」ばかり考え今でも両親の働く後ろ姿が浮かびます。
愛情が欲しくて構ってほしくて「私をみて」と願い自分がしたことで、「ろくなことをしないやつ」となり孤立感を自ら生んでしまった私の思いは「家族なんて大嫌い」に変化していきました。そして、家族写真の家族の顔にシールを貼り、家族との遮断を小学生ながらにしていったのです。
後日、写真をみつけた母は怒りだし、私は「あんたたちが大嫌いなんだよ!」と怒鳴ると、母は無言で大粒の涙を流しながらその写真を破いていったのです。
母の姿をみて幼い心に、大きな大きなとげが刺さった感覚が今でも残っているのです。



