群馬県民にこよなく愛される「上毛かるた」。そのゆかりの地をのんびり訪ねる今回は、桐生市、太田市編です
(掲載画像は過去のものもあります)。
上毛かるためぐり
桐生・太田エリアでかるた探し
桐生八木節まつり
毎年熱気に包まれる「桐生八木節まつり」。今年の開催は8月7・8・9日を予定。例年、お祭り期間中は桐生市内各所でさまざまなイベントが行われ、一体となって開催される「桐生祇園祭」の屋台展示やみこし渡御なども楽しめます。

宵の口から始まる八木節おどりに参加したいなら、本町二・五・六丁目と末広町、錦町に設置されるやぐらへ! 初心者でも大丈夫。八木節のおはやしと踊り手のみなさんに合わせて踊れば楽しさ数倍になりますよ♪
ところで、「桐生を離れても祭りには帰ってくる」という人多いですよね。30年以上前、リポーターは前橋駅でうちわを配って同まつりの宣伝をする法被姿の人々を見ました。祭りが近づくと町も人も熱量が上がってくる…そんな桐生の一大イベントの詳細は、6月下旬に発表予定です。
桐生八木節キャンペーンスタッフ
祭りを盛り上げる人たちといえば、桐生市が1990年度から行っている育成事業「桐生八木節キャンペーンスタッフ」を知っていますか? 毎年一般から公募され、養成講座での練習を経て7月上旬に認定されます。桐生八木節まつり期間中は市内各所で踊りを披露し会場を活気づけるのはもちろん、一年を通して県内外のイベントに出演。八木節おどりを通じた桐生市の観光PR役として活動しています。


同スタッフの公募は例年1月から3月初旬。八木節おどりを通じて積極的に桐生市の観光宣伝活動に従事する意欲がある、心身ともに健康な公募年度7月1日時点で18歳から40歳までの人(高校生は除く)が対象です。
現在、第35期生が7月の認定式に向けて練習中。そろいの衣装と小道具を身に着け、みなさんの前で踊りを披露する日ももうすぐです。
【問い合わせ】
☎0277・44・0754(桐生市産業経済部観光交流課)
白瀧神社

京都から桐生に織物を伝えたとされる白瀧姫を祭る神社です。名前は知っていたけど初めてお参りした同社は明るく整然としていて、なおかつ神聖な雰囲気を持つすてきな場所でした。
本殿、神楽殿、ご神木の大ケヤキなど見どころたくさんですが、なんといっても「降臨石」と呼ばれる大岩の存在感に感動! さらにこの岩には「耳を当てると機音が聞こえた」という伝説があるそうです。また、境内には「白瀧姫伝説」を伝える由緒板が。「はるか昔、山田郡仁田山郷(今の桐生市川内町)から一人の男が朝廷に勤めることとなり、庭の手入れを命じられた際に白瀧姫と出会い、見事な歌のやりとりで身分違いを乗り越え妻とすることができました。桐生に移り住んだ白瀧姫は製糸や織物の技術を広め、桐生の織物が広く知られるようになったため、祭られることになりました」(以上要約)
白瀧神社には江戸時代から多くの織り子が技術の上達を願ってお参りし、彼女たちが奉納した額が残っているそう。日本遺産「かかあ天下―ぐんまの絹物語―」に認定されたのも納得です。
白瀧神社/桐生市川内町5-3288
〈問い合わせ〉☎0277・32・3913(桐生市日本遺産活用室)
生き人形白瀧姫
江戸末期から明治期に活躍した安本亀八が制作した同像は、等身大のまるで平安貴族のようなみやびな姿で見る人を魅了します。これまでガラスケース越しの見学でしたが、5月、同像の公開施設である桐生歴史文化資料館が矢野園内に移転し、じかに拝めるようになりました。

同館運営委員の川嶋伸行さんは「前より大きく、より神秘的に見えると好評です」。さらに「この生き人形は明治天皇の妃、昭憲皇太后がモデルのようです」と驚きの話を! 1893年のシカゴ万国博覧会で日本館にお客さまを招く「日本の高貴な女性」として制作されたもので、博覧会終了後、桐生の買い継ぎ商・佐羽吉右衛門が「この生き人形は織り姫になぞらえる」と考え購入。織物組合の商標のモデルに利用しました。その後、その存在が忘れられていた1989年、自治会管理となっていた織姫神社建て替えの際に社殿の中から発見され、地域の人々が白瀧姫像と名付けたのだそうです。
生き人形が歩んできた人生?にびっくり。白瀧姫像になったときに口紅やマニキュアも塗布され本当に人間みたいです。
「これも時代の流れで否定はされていません。後世に引き継ぐことの方が大事ですから」。着物姿の白瀧姫像は矢野園さんのたたずまいと調和し、相乗効果が生まれそうです。

桐生歴史文化資料館/
桐生市本町2-6-30☎0277・45・2925(矢野園内、月曜・火曜定休)
金山と大光院

太田市のシンボル・金山は、アカマツ林が広がる緑豊かな丘陵地。多様なハイキングコースには、史跡金山城跡(かなやまじょうあと)や大光院など歴史スポットも点在しています。
標高239㍍の金山全体の地形を利用して造られた山城・金山城は1469年、新田一族の岩松家純によって築城。戦国時代の関東七名城の一つで日本100名城にも数えられています。本丸跡(山頂)に向かう道には石垣や石敷きが復元されていて、想像以上に巨大で迫力があります。見晴らし台からは関東平野が一望でき、日ノ池、月ノ池など見どころ満載。本丸跡に鎮座する新田神社境内にある、推定樹齢800年の大ケヤキも必見です。

史跡金山城跡/太田市金山町40—98他
金山南麓に位置する大光院。1613年、徳川家康が一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた寺です。
開山した呑龍上人(どんりゅうしょうにん)は芝増上寺などで修行を重ねた名僧で、上人の徳を慕う学僧が大光院に大勢集まり寺は栄えました。一方、天災などの影響から周辺住民の生活は困窮し捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人はその非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育しました。
この話は「子育て呑龍さま」として全国に広がり、大光院は今でもあつい信仰を集めています。

大光院/太田市金山町37-8
〈問い合わせ〉☎0276・20・7090(太田市教育部文化財課)



