人生にはスパイスが必要だ。しかしスパイスの調合に失敗し続けてきた私の人生をお送り致しています。3回目は「親知らず子知らず③」です。

 前夫と離婚した月に急性盲腸で緊急オペ。しかしそのオペでカルチノイド腫瘍・ステージ4の結果でがんセンターを紹介され絶望の日々を過ごしていた時があります。その後も数々の病気でオペ入院を繰り返し8回のオペを経験し、それ以上の入院もしてきました。中には人工呼吸器装着で生かされていた時もあり現在も腹部内には医療用クリップや頸椎(けいつい)には3連結のボルトも入っており今後も増える予定です。

 毎回オペや入院をするたびに何故自分ばかりがこんな思いをしなくてはいけないの?いっそ死んだ方が楽になれるよね、もう痛い思いはこれ以上耐えられない、と思ってきましたが「生かされている意味」を考えるように変換し「結局は時が解決する」、痛みで苦しいときは現実逃避で「これは夢だからいつか覚める」と乗り越えるということを学んだように思います。

 さて、離婚した年のある日、5歳と3歳の息子が居なくなった日があり実家に連絡し家族総出で捜し回りました。もしかしたら誘拐されたのか、事故ではないかと、泣いて捜し回りました。

 走っていると遠い前方から大きな赤い物がゆさゆさと揺れています。よくみると幼い長男が両手いっぱいの彼岸花を抱え小さな次男は数本彼岸花を持ち鼻水を垂らしながらテクテクと歩いてきたのです。

 息子たちの名前を叫びながら駆け寄ると長男が「あのねママがね、このお花大好きなの、って言ってたから、たーくさんみつけてママに持ってきたんだよ!」「ねぇ」と笑顔で言う2人。

 それを聞いて膝から崩れ落ちた私は2人とたくさんの彼岸花を抱きしめながら周りの人の目も気にせず大きな声で泣きました。

 それから約24年ほどたちますが、毎年「彼岸花」を見ると幼い息子たちのいとおしい光景が浮かんできて自然と涙がでてきます。彼岸花の咲くころに幼かった君たちにまた会いたいと心から思い、きっと人生の終幕での走馬灯で会える気がしてならないのです。

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