
人生にはスパイスが必要だ。しかしスパイスの調合に失敗し続けてきた私の人生をお送り致しています。4回目は「親知らず子知らず④」です。
私は本当に親に迷惑と心配をかける娘でした。自分は不必要な人間で親にとっていらない子供だったのではないかという自分の想像だけで反発し、友達や彼氏といることが楽しくて自由で自分の居場所で必要とされているんだと思って家を飛び出しては転々としていたこともあります。帰れば心配する母に対し「うるせぇ!くそばばぁ!」と怒鳴ったり。すでに中学生の時から特に母にはひどい態度と言葉遣いをし、先輩や仲間たちと日々集団で行動し好き勝手し、私がこうなったのは「自分のせいじゃない」と人のせいにする自分勝手な放浪娘でした。仲間といることが楽しく寂しさを埋めていたのです。
ある日「親に迷惑をかけた以上のことを、いつか自分の子供にされるんだってよ」と誰かが言ったことがあります。そんなことないでしょ。と笑っていましたが、息子2人は中学入学と同時に見事に私以上になり毎日のように私は学校に行くことになり、それまでは「子の心親知らず」だったのが「親の心子知らず」を身をもって体験したわけです。
現在まで数々の病気を経験してきましたが医療介護の現場でやって来られたのは自由気ままに親に反発して生きてきた私が医療と介護を通じて「人に必要とされている」「自身の数々の病気や療養経験を生かせる」と感じられる場所であり、息子たちに背中を見てほしい、両親に「私を産んでよかった」と思ってほしい、そしてシングルマザーで仕事と入退院ばかりし息子たちへ寂しい思いをさせてきた私の「贖罪(しょくざい)」でもあるのです。
令和6年4月父が自宅で倒れ救急搬送し肺がん原発・脳腫瘍転移。余命数カ月がわかり在宅での「看取(みと)り」を選び4月30日退院。桐生市の自宅に運び自宅で8月14日永眠。今でも忘れない。8月2日父がにっこり笑いながら私の頭に触れ「康子ちゃんはいいこだね」「いいこだよ」私の頭をなでてくれた。14日に亡くなるまで力が尽きるまで毎日してくれた。私は一生分以上の父からの愛情と頭をなでてもらった。自宅での看取りを選んだことで50歳になるおばさん(私)が小さな子供に戻れた時を父がくれた。また生まれ変わることがあるならば両親の元にまた生まれ変わりたい。そして連載を書いている1月9日、義母「中里会・会長中里隆子」突然の病死。その日も会って笑顔で話をしていたのに。家族で旅行行こうね、また今年も一緒に八木節まつりで踊ろうね、とたくさん話をしていたのに。
父に会いたい。義母に会いたい。たくさん「ありがとう。心からの感謝と愛している」を伝えたいけれど、もう居ないのだ。
失敗や後悔をしないように生きることも大切。しかし失敗や後悔をすることで大切なことに気づき学ぶことができる。人に優しく誠実に生き、どんなことも乗り越えていけば、きっと自分の心の人生が豊かになり心から笑って話ができる時がくると信じて私は生きています。



