
次に向かったハーブ園の駐車場からは雄大な富士の全景が見えた。長い両手のように延びている。夕方のせいか圧迫感あり、長い長い裾野は今にも私たちを包み込んでしまうようだ。カメラを向けていた娘が大声を上げた。「虹だよ!」よく見ると富士山の頂上の左横半分だけ夕日が差している。さらに左上に虹が見えた。もしかすると誰かが私の背中を押している? 先ほどの寿老人といい、私はまだ生きられるのかもしれない。そんなふうに考えられただけでも、ここに来る意味があったのかもしれない。
その夜、富士山の見えるホテルで真っ暗になった山を見ていた。中腹の所々に明かりがともされていく。山小屋の明かりなのか。幻想的だった。50年前に他界した両親に会えたらこの光景が冥土の土産話になりそうだと思いながら暗闇の富士山をまんじりと見ていた。
そして左腎臓摘出手術が終わった。食事制限が多少あったが、当初の不安はそれほど影響がなかった。まもなく尿の流れを良くするため右尿管へのカテーテル手術を受けたが、がんが進行しているのか挿入できない。その場で腎ろうの緊急手術が行われた。ストーマへ尿を出すのだ。少々、不自由はあるが生きているだけいい!
この生活も落ち着かないうち、また告げられる。先生は6月まで手術がいっぱいだという。一つしかない右腎臓へがんが到達するまで時間がない。一刻も早い方がよい。虎ノ門病院へ行ってほしいと勧められた。だが、即座に答えた。「最後は先生がいいです」と。
「私は余命を受けたとき、もう夏は無いと思い終活のため夏服を全部処分しました。でも先生のおかげでまた夏を迎えられ、半袖がないことに気づいて慌てて買い足したんです。私は覚悟をしています。大丈夫。もう十分です」。笑いを交えて言ったつもりだが、娘たちは後ろで泣いている。先生はうつむいていた。「ご家族の気持ちは…」と言いかけて振り向いた。「夏服は捨てないでください。一週間待ってほしい。他の患者さんの調整をして返事をしましょう」と言ってくれた。
私にしてみると国立がんセンターまで来て手術を受ける患者さんは誰もが究極の事態なのだろうに、私が横入りするなど申し訳ないと思いながらもそのまま帰り、病院からの連絡を1週間待った。



